
こんにちは、きりんです。1人目出産時には切迫早産の診断がつき、自宅安静からの入院となりましたが、今回は2人目編です。
結果として、2人目はさらに早い妊娠20週で切迫流産となり26週には子宮頸管長が0mmとなりましたが、医療スタッフ・家族のサポート及び少しでも効果のあった骨盤体操のおかげでなんとか臨月までもつことができました!
この妊娠期間にはMFICU(母体・胎児集中治療室)にも入院し、人生でかつてない暗い時期を過ごしましたが、今では「そんなこともあったな〜‥‥」くらいに思えます。
今、切迫早産の入院で頑張っている妊婦さんは、「いつまで入院しなければいけないのか」「赤ちゃんが出てきてしまったらどうしよう」など、たくさんの不安を抱えていることでしょう。
この記事が、頑張っている妊婦さんの少しでも励みと時間潰しになれば幸いです
ただし、症状や状況は個人によって異なりますので、必ずかかりつけの医師の指示には従って参考程度にお読みください。
- 2人目の自宅安静は両親の助けがあっても難しい
- 妊娠23週で子宮頸管14mmは大学病院に即日入院となるレベル
- MFICU入院時の過ごし方(気分転換など)
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切迫早産って1人目もなったら2人目もなる?

これは、なりやすい方が多いようです。
「切迫早産になりやすい方」として、子宮の手術を受けた方や多胎妊娠などがありますが、そのような理由に当てはまらない方は「体質」により切迫早産になりやすいと医師から言われてしまいました。

「体質」って言われるのってなんだか腑に落ちない‥‥。
2人目以降に初めて切迫早産になった方は、
2人目は上の子のお世話で無理をしてしまって切迫早産の診断がついた
という方もよく聞きますよね。
私の場合は、

1人目は体質で切迫早産になったから2人目はもっと早い時期になるよ
と、複数人の医師から言われていました。
上の子がいる生活の中、前回のように長期入院をするのは絶対に嫌だったので自分でとれる対策は妊娠初期からしてきたつもりでした。立ったままお腹に負担がかかるような抱っこはしない、トコちゃんベルトで骨盤ケアをするなどです。
それでもやはり頸管長が24mmとなり「切迫流産」の診断がついてしまったのは、妊娠20週のときでした。

今回は妊娠週数が22週未満だから「切迫早産」ではなく「切迫流産」と呼ぶんだよね。
かなり早い時期になっちゃった‥‥。泣
自宅安静が必要なため里帰り

かなり早い時期に診断がついてしまったため、絶対安静が必要なのは重々理解していました。そして日中は上の子と二人だけの生活。
両親の助けも借りるために、診断がついた翌日には里帰りをしました。
実家にて自宅安静
上の子はおじいちゃんおばあちゃんに会えて嬉しそうでしたが、私はこの早い週数から切迫流産になってしまい落ち込んでいました。
里帰り先の病院ですぐに頸管長を測ってもらいましたが、やはり23〜25mmのため自宅安静の指示が出ました。
この時、上の子は2歳。

両親は子どもの相手をしてくれたり食事を作ってくれたりしましたが、子ども自身はまだ状況がよく理解できないので「ママも一緒に遊ぼうよ〜」と誘いに来てくれます。

その都度、ママは今は動けないよと伝えるのも、上の子に申し訳なかったな。
そうすると余計に「ママ、ママ」と甘えてきます。
申し訳ないと思いながら、自分の大きくなっていくお腹や衰えていく筋肉で体調はよくありませんでした。高齢の両親も慣れない2歳の子の相手や、増えた食事や洗濯のお世話に疲れて来ているのが分かりました。
安静にしていた時期は夏だったので、上の子が夜に花火をしたいと言い出しました。
もちろん私は外に出ることは出来ず、家の窓のガラスの前で横になりながら両親と上の子が花火をしているのを見ていました。
もう、心身共に限界だったと思います。涙が止まりませんでした。
2週間ほど自宅安静を続けましたが、妊娠22週の時の検査でも頸管長は23〜24mmと変わらなかった為、遂に大学病院に紹介されました。
切迫早産で大学病院へ入院

大学病院に紹介された時は妊娠23週に入ったばかり。
付き添いで来ていた両親は「これからは大学病院に通院するんだ」と軽い気持ちでいたようですが、私自身は入院を覚悟していました。
やはり、この日の頸管長は14mmであり、過去最短でした。
この時、1人で診察室に入りましたが検査後、医師からこのように言われました。

今日から入院です。
この子は1ヶ月以内に生まれます。もしかしたら生きられないかもしれません。
あまりのショックで両親にも夫にも言うことができず。

この言葉を口に出すのも怖かった‥‥。
結果的に、夫に「こんなこと言われたよ。」と伝えたのは産まれた後です。
反面、前回の入院経験から「絶対にこのまま保って元気な赤ちゃんを産むんだ!」と決意していました。
入院が決まり、私がしばらく帰れないと分かった上の子はその夜、泣き叫んで寝られなかったようです。
大学病院の入院により家族が離れ離れに

私の実家は自宅から車で2時間ほどの距離にありました。そのため仕事があった夫は自宅にいなければならず、1〜2週間に1回程度会いに来てくれました。
つまり、入院が決まった時点で家族3人が離れて生活することが決まりました。
私・・・・・大学病院入院
上の子・・・実家で祖父母と生活
夫・・・・・自宅
この時程、辛かった時期はありません。
私が入院した大学病院の産科病棟は子どもは入ることができず、いつも上の子とは病棟の外で面会し、面会の後別れる時はドアの前で寂しそうに手を振っていました。
それでも、頑張って数日で母親の入院を理解し、すぐに状況に慣れていきました。

子どもの適応って本当にすごい!大人の方が慣れるのに時間かかるよ‥‥。
MFICU(母体・胎児集中治療室)へ

私が入院した大学病院はNICU、GCU、MFICUを兼ね備えており、私は外来からそのままMFICUへ運ばれました。
MFICU(母体・胎児集中治療室)・・・母親やお腹の赤ちゃんに治療が必要な場合や注意深くみていく場合に入院するところ
NICU(新生児特定集中治療室)・・・小さく生まれた赤ちゃんや治療が必要な赤ちゃんに対し、24時間体制で専門の先生や看護師がお世話をしてくれるところ
GCU(継続保育室/回復治療室/発育支援室)・・・NICUで状態が安定してきた赤ちゃんが引き続き治療を受けるところ
入院当日はそれほどの危機が迫っていると理解し、ベッドの上でぼーっと過ごすだけで過ぎてしまいました。
この時のお腹の赤ちゃんはまだ650gでした。
MFICUの入院生活

私が入院した大学病院のMFICUは7〜8床あり、準個室のようなところでした。
お隣さん同士は壁になっているけれど、足元はカーテンで仕切られてい他ので、お隣さんの声や検査の音や気配などは聞こえてきました。
私のような母体が危険な状態の患者さんや、お腹の赤ちゃんに懸念がある患者さんもいました。
入院生活は、
24時間の持続点滴やトイレ・週二回のシャワー以外絶対安静
これを徹底されました。
1人目でクリニックに入院した時と同じような寝たきりの毎日でしたが、大きく異なるのは夜でした。
夜になると急にベッドごと別の部屋に移動する妊婦さんが時々おり、それは赤ちゃんやお母さんに何かしら変化が起きたということを意味していました。

勝手にドキドキしたり、心の中で応援したり‥‥。
このように時々は緊張感はありましたが、1人目の入院時に個室で過ごしていた時よりは同志の気配が安心になりました。
MFICUでの気分転換
入院も数日たつと、入院生活に慣れて来ました。自分と赤ちゃんを信じて久々のゆっくりした時間を過ごすことにしました。

上の子が居たら、一人のゆっくりした時間ってほとんどとれないもんね。状況を少しでもプラスに切り替えてみよう!
【気分転換にしていたこと】
- 赤ちゃんのスタイづくり
- 読書・英語の勉強
- 美容に励む
- おもちゃづくり
- ネットショッピング
1人目の入院時に得たスタイづくりの知識が、また役立つ時が来ました(笑)
今度はさらに長期間の入院が予想されたので、スタイに刺繍をしてみたりデザインを凝ってみたりもしました。

デザインを色々考えるだけでもとっても楽しかったし、考えていると時間が過ぎるのが早かった!
また、入院中は基本的にスッピンで過ごしていますよね。
ここぞとばかりに「今のうちに美肌になってやる!」と意気込み、毎日病室でフェイスマスクのシートで保湿していました。


そして、上の子が毎日のように面会に来てくれていたので、お守りや手作りの絵合わせなどのおもちゃを作っていました。

パックの最中に看護師さんが来られた時は恥ずかしかったですが。笑
おもちゃも刺繍をしたり割と凝ったりしているうちにどんどん腕が上がっていったよ!笑
赤ちゃんグッズのネットショッピングもベッドの上でぽちぽち‥‥。赤ちゃんグッズがどんどん新しいものが出てくるので可愛いですよね
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子宮頸管長に関しては、あまり改善はみられず、
24週で14mm、25週で10mmm、26週ではついに計測不能な0mmになってしまいました。

安静にしているのに・・・。
「頸管無力症」ではないと言われたし、もうどうしていいか分からなかったよ・・・。
そこで、少しでも改善するようにと、入院してから看護師んからも勧められた骨盤体操を一日に数回することにしました。
MFICUで行っていた骨盤体操
具体的には、「安産力を高める骨盤ケア」という本を参考にしていました。
特に、p.35のお尻ふりふり片手伸ばし、p.64のはいはい歩きを中心にベッドの上で1日数回やっていました。
タオル玉で背中のマッサージも、刺繍作業で凝った背中に効いたものです。
他にMFICUで日中行っていた骨盤のためのこと

骨盤体操以外に、私にとって効果があったものがありました。
それは、寝たまま骨盤の下に折ったバスタオルを置き、骨盤を上半身より少し高くすること。
そうすると、初めてフワフワになった柔らかいお腹を実感することができました。
よく、足が浮腫んだ時に足を高くして寝ると滞った血流が元に戻り、浮腫が治りますよね。どうやら元々胃下垂だった私は胃をはじめとする内臓で子宮を圧迫していたようでした。

思い起こせば、食事後は重たくなった胃で子宮が圧迫されるからか、冷や汗が出るほど苦しくなった時もあった‥‥。
看護師さからは、この体勢は内臓が逆さの状態なので、程々に‥‥とは言われましたが。
そして、この時期の頸管長は27週で1mm、28週で2mm、張り止めの点滴は3A17mlでした。
頸管長は若干改善しているように見えますが、現状維持でした。
MFICU卒業、一般病棟へ
28週になる頃、状態が大きく変わらないのでMFICUを卒業して一般病棟に移ることができました。

絶対安静や点滴の流量は変わらなかったけれど、とても嬉しかった!
一般病棟の病室は4人部屋で、同じような切迫早産の患者さんが多かったです。お互い積極的には交流は取りませんでしたが、挨拶や励まし合いをしたりとても心強かったです。
そして、出産

その後、気分転換をしながら入院日数が過ぎていきました。
頸管長は29週で4mm、30週で3mmと順調でしたが31週で子宮口が3mm開いてしまいました。
32週で子宮口5mm開大、33週で2mm開大、34週で何故か頸管3〜5mm、35週で頸管5mmに。
36週では子宮口10mm開大し、ついに破水からのそのまま出産となりました。臨月ですが正産期前の早産だった為、赤ちゃんはGCUに管理入院に。
それでも、我ながらよくここまで細々と持ったものだと思うし、入院期間は約100日となりました!
主治医の先生からも、

この病棟で一番入院期間が長かったですよ。頑張りましたね!
と言われました。笑

自分でも人生でこんな経験をすると思わなかったし、
点滴をたくさん刺した跡のある腕は勲章!
ちなみに脆弱だった頸管・子宮口により出産時間は30分!
赤ちゃんは一緒に退院はできませんでしたが、無事GCUを卒業して元気に育っています。
最後に
切迫早産で安静中・入院中の妊婦さん、
MFICUにいらっしゃる妊婦さん、
今は暗い暗いトンネルの中先が見えないかもしれません。
私も人生で1番暗くて悲しい時期を過ごしました。
なかなか気持ちを切り替えることは難しいですが、少しでもリラックスできるものを探してみましょう。
長い長い入院期間ですがいずれ終わりが来ます。
それに、入院により1人の時間が持てるのも考え方によってはプラスになるかもしれません。
今回、私は骨盤体操などでなんとか臨月まで持つことができましたが、今、入院中の妊婦さんの赤ちゃんが、【1日でも長く】お腹の中で過ごせるのを願っています!
それでは、最後までご覧いただきありがとうございました!
※体調や状況は個人によって異なりますので、主治医や医療スタッフの指示に従ってお過ごしくださいね。
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